日本史用語:遣隋使(けんずいし)
倭から隋に派遣された外交使節 (補足) 「隋書」倭国伝によると4回(600、607、608、614年)、「日本書紀」によると3回(607年、608年、614年)派遣されたとされている。 (600年の遣隋使は「隋書」倭国伝 […]
倭から隋に派遣された外交使節 (補足) 「隋書」倭国伝によると4回(600、607、608、614年)、「日本書紀」によると3回(607年、608年、614年)派遣されたとされている。 (600年の遣隋使は「隋書」倭国伝 […]
670年に天智天皇の下で作成された日本で最初の全国的戸籍。 (補足) 通常の戸籍は30年で廃棄されたが、庚午年籍は氏姓(しせい)を正すための根本台帳として、律令体制下で永久保存された。ただ、実際には現存していない。 &n […]
白村江の戦いで敗れた後、唐・新羅からの攻撃から大宰府を守るために作られた防壁。 (補足) 国防強化の一環として大宰府の北側に建てられ、全長1.2kmほどだった。
7世紀初頭に聖徳太子が建立した寺院。斑鳩寺(いかるがでら)、法隆学問寺(ほうりゅうがくもんじ)とも呼ばれる。現在の奈良県斑鳩町にあり、聖徳宗の総本山。 (補足) 伽藍(がらん)配置(建物などの配置方法の1つ)で、「西院伽 […]
中臣(藤原)鎌足の次男で奈良時代初期の公卿。(659~720年) (補足) 藤原不比等は659年に生まれ、主に大宝律令、養老律令の制定や平城遷都で活躍した。 また、娘の宮子(みやこ)を文武(もんむ)天皇に嫁がせ、彼らの間 […]
推古天皇の時代の603年に定められた。百済の官位制をもとに作られ、外交の場で必要とされたと考えられる。 (補足) ランクは徳・仁・礼・信・義・智の6つを大小に分けた12段階とされ、位階ごとに儀式の際の冠や衣服の色が定めら […]
藤原不比等(ふじわらのふひと)によって作られ、757年に藤原仲麻呂(ふじわらのなかまろ)によって施行された。 ※ 律は刑法、令は行政法に当たるもの (補足) 律は10巻12篇、令は10巻30編で構成され、元正(げんしょう […]
日本で最初の律令。文武(もんむ)天皇の命を受けた刑部親王(おさかべしんのう)や藤原不比等(ふじわらのふひと)ら19人によって作られた。 ※ 律は刑法、令は行政法に当たるもの (補足) 大宝律令は701年に成立し、令は70 […]
中大兄皇子(なかのおおえのおおじ)や中臣鎌足(なかとみのかまたり)らが蘇我(そが)氏本宗家の政権を打倒した政変。 (補足) 皇極(こうぎょく)天皇の時代の645年6月に起こった政変。 当時、蘇我氏は朝廷で有力な地位にあり […]
以仁王の令旨に呼応した武士たちによる争乱。 (補足) 1180年4月に白河天皇の皇子である以仁王(もちひとおう)は諸国武士たちに対して平氏追討を命じた。この命令に呼応して各地の武士たちは平氏打倒の軍事行動を次々と起こし争 […]