日本史用語:藤原仲麻呂(ふじわらのなかまろ)
奈良時代中期の公卿。南家の藤原武智麻呂の次男で、光明皇太后の信任を得て実権を握ったが、恵美押勝の乱で敗死した。 (補足) 橘諸兄(たちばなのもろえ)の子である橘奈良麻呂(たちばなのならまろ)の謀反を防ぎ、反対派を一掃する […]
奈良時代中期の公卿。南家の藤原武智麻呂の次男で、光明皇太后の信任を得て実権を握ったが、恵美押勝の乱で敗死した。 (補足) 橘諸兄(たちばなのもろえ)の子である橘奈良麻呂(たちばなのならまろ)の謀反を防ぎ、反対派を一掃する […]
三世一身法に代わって、開墾した土地の永久所有を認めた法令。 (補足) 743年に発布され、位階によって面積を制限しつつ、国司に申請して開墾の許可を得て一定期間内に開墾すれば、その田地を永久に有することができるとした。 墾 […]
推古天皇の時代の604年に聖徳太子によって作られたとされる法令。十七条憲法(じゅうしちじょうけんぽう)とも呼ばれ、豪族に役人としての自覚を促すと同時に仏教的な政治理念が示された。 (補足) 「日本書紀」に全文が記載されて […]
723年に開墾を奨励するために発布された法令。 開墾した土地は自分や子・孫のものになるというもの (補足) 三世一身法では、既存の溝池を利用して開墾した場合には本人死亡まで、新たに溝池を開発して開墾した場合には孫までの私 […]
人物名。孝謙(こうけん)天皇の信任を得て法王になったが、称徳天皇(孝謙天皇と同一人物)の死後に左遷された。 (補足) 孝謙(こうけん)天皇(正確には退位後のタイミング)の病気を癒したことで信任を得た(孝謙天皇は聖武天皇の […]
741年の国分寺建立の詔を契機に各国に建てられた寺。正式名称は金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)。 (補足) 聖武天皇は鎮護国家思想に則り、仏教の力による国家を安定のため、各国に国分寺を建てた。 […]
藤原不比等の死後に左大臣に任命され、三世一身法の制定などを行った。 (補足) 天武天皇の孫で藤原不比等の死後権力者となったが藤原4子に謀反の罪をきせられ、妻の吉備内親王(きび ないしんのう)とともに自殺した。   […]
日本から唐に派遣された外交使節。630年に犬上御田鍬(いぬかみのみたすき)が大使に任命されてから、894年に菅原道真が大使に任命されるまで総計19回大使が任命され、15回渡海した。 (補足) 遣唐使の目的は、唐の先進的な […]
684年に天武天皇が制定した8種類の姓(かばね)。 (補足) 姓(かばね)とは、古代豪族の身分の上下を表した政治的称号のこと。 八色の姓とは、真人(まひと)、朝臣(あそん)、宿禰(すくね)、忌寸(いみき)、道師(みちのし […]
百済・日本軍と唐・新羅軍の間での戦い。百済が滅ぼされたことが契機となって起こったが、百済・日本軍は惨敗した。 (補足) 663年に韓国南西部で起こった。 経緯としては、660年に百済(くだら)が唐と新羅(しらぎ)によって […]