世界史用語:武韋の禍(ぶいのか)

唐の時代における、則天武后と韋后による政治的混乱を指す言葉。
最終的には玄宗が韋后らを追放することで解消。
(補足)
則天武后は、唐の高宗死後、(正確には息子2人の即位及び廃位を挟んだ後に)自ら帝位につき、中国史上唯一の女性皇帝となる。
政治、文化、社会の各面で多くの変革をもたらしたが、同時に中央集権を強化し、反対勢力を厳しく排除する政策も行った。

また、その後、中宗(則天武后の息子)の后である韋后(いこう)も政権奪取を計画。
両者による政治的混乱のことをまとめて武韋の禍と呼ぶ。

 

※ 理解を優先するために、あえて大雑把に書いてある場合があります

 
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