世界史用語:煬帝(よう だい)

隋の第2代皇帝。初代皇帝である楊堅の子。
大規模な土木事業(大運河、宮殿など)や高句麗への3度の遠征などによって、隋は急激に衰退し、唐に取って代わられることとなった。
(補足)
本名は楊広。
父(楊堅)と兄を殺害して即位したという説もあり、暴君として知られる。
3度の高句麗遠征については失敗。
ただし、大運河の建設については、南北の政治や経済の一体化を促したという評価がなされることもある。

なお、聖徳太子が送った手紙に激怒したのは、この煬帝。
また、本名の姓は「楊」だが、諡号(死後に贈られる名前)は「煬」という字。徳が劣っていた場合などにつけられるもの(と言われる)。

 

※ 理解を優先するために、あえて大雑把に書いてある場合があります

 
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