世界史用語:均田制(きんでんせい)

北魏の孝文帝によって導入された土地制度。
土地を国家が管理し、それを民に均等に配分して耕作するという仕組み。
唐の半ばごろまで採用された。
(補足)
公地公民の原則の下、均等な土地配分により、農民が安定した生活を送り、かつ、安定した税収を確保することを目指した。
また、一定期間ごとに土地を再分配することで、土地の所有権が固定化するのを防いだ。

北魏では、均田制の導入に併せて、村落の統治制度である三長制も導入された。

また、特に隋や唐では、税制の租庸調制と表裏一体的な土地制度であった。
ただし、実際には、土地の再分配による争い、地方豪族の抵抗、不公平な実施などの問題も発生。
特に、本籍地で課税するシステムであったことから、負担に耐えられなくなった農民が逃げ出すといったことが横行。
最終的に唐の時代に崩壊し、荘園制の下で佃戸(でんこ)と呼ばれる小作人が耕作する仕組みに移っていった。

なお、一種の「社会主義」的な制度と見ることもできる制度。
日本でも奈良時代に、この影響を受けた班田収授法が採用されている。

 

※ 理解を優先するために、あえて大雑把に書いてある場合があります

 
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