世界史用語:赤眉の乱(せきびのらん)

新の末期、西暦18年に起こった大規模な内乱(~27年)。
王莽の改革による社会的不安と経済的苦境が深刻化した中、特に困窮した農民層を中心に発生した。
(補足)
反乱軍は、兵士が顔に赤い墨を塗って戦ったことから「赤眉」と名付けられ、急速に勢力を拡大し、多くの民衆がこれに加わった。
西暦23年に王莽は殺害され、王朝も滅亡することとなったが、この反乱自体は西暦27年に後漢の光武帝によって鎮圧されるまで続いた。

 

※ 理解を優先するために、あえて大雑把に書いてある場合があります

 
アンケートへのご協力をお願いします(所要2~3分)
「将来設計・進路」に関するアンケートを実施しています。ご協力いただける方はこちらよりお願いします
(Googleフォームにアクセスします)

当サイト及びアプリは、上記の企業様のご協力、及び、広告収入により、無料で提供されています