世界史用語:ルテティア(るててぃあ)

現在のパリに建設されたローマ風の都市。セーヌ川の中州(シテ島)を中心とし、交通の要所として発展。
ローマの文化や建築様式が取り入れられた。
(補足)
元々は、前3世紀にケルト系ガリア人のパリシイ族が建設したと言われる。
前52年にカエサルによって征服され、以降ローマの支配下でガリア地方の中心都市として急速に発展した。

他のローマ風都市と同様、格子状の街路が計画的に配置され、公共広場、公共浴場、劇場などのローマ式の公共施設が建設された。
3世紀には城壁も建設された。

5世紀頃、西ローマ帝国の衰退とともに、ゲルマン人らの侵略を受けるようになり、一時衰退。
しかし、中世に入ると再び発展を遂げ、フランク王国及びフランス王国の中心地となった。

現代のパリには浴場の遺跡なども残っている。

 

※ 理解を優先するために、あえて大雑把に書いてある場合があります

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