アレクサンドロス大王の死(紀元前323年)を受けて勃発した後継者争い。
広大な帝国の支配権を巡って争い、結果的には複数の国家に分裂することとなった。
広大な帝国の支配権を巡って争い、結果的には複数の国家に分裂することとなった。
(補足)
「ディアドコイ」はギリシア語で「後継者」を意味する言葉。
アレクサンドロスの後継者になろうと争った元将軍らのことで、具体的にはアンティゴノス、プトレマイオス、セレウコス、リシマコス、カッサンドロスなどを指す。
「ディアドコイ」はギリシア語で「後継者」を意味する言葉。
アレクサンドロスの後継者になろうと争った元将軍らのことで、具体的にはアンティゴノス、プトレマイオス、セレウコス、リシマコス、カッサンドロスなどを指す。
経過としては、
まず、アレクサンドロス(3世)が後継者を明確に指名せずに突如33歳で亡くなったことで後継者問題が生じ、
一旦、異母兄のピリッポス3世(アリダイオス)と、アレクサンドロスの死後に生まれたアレクサンドロス4世が共同統治者となったが、
実質的な権力はディアドコイたちが握り、かつ、主導権争いが行われた、という流れ。
紀元前301年のイプソスの戦いでアンティゴノスが敗れて形勢が固まり、結果的には、プトレマイオス朝のエジプト、セレウコス朝シリア、リシマコス朝、カッサンドロス朝マケドニアに分裂した。
なお、その後、マケドニアではアンティゴノスの息子が再起を図り、カッサンドロス朝マケドニアを滅ぼして、アンティゴノス朝マケドニアを開いている。
※ 理解を優先するために、あえて大雑把に書いてある場合があります |
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