世界史用語:セレウコス朝シリア

アレクサンドロス帝国の分裂後に成立し、メソポタミアからペルシア(イラン)地域を支配した王朝。
紀元前312~前64または前63年。

各地の伝統的な文化を尊重しつつ、アレクサンドロス帝国に引き続いてヘレニズム文化を浸透・融合させていった。
最終的にはローマの圧迫を受けて滅亡。

(補足)
アレクサンドロスの死後、将軍たち(ディアドコイ)の間での後継者争いを経てアレクサンドロス帝国は分裂。
プトレマイオス朝エジプト、カッサンドロス朝マケドニアなどとともに、メソポタミアからペルシア(イラン)地域でセレウコス朝シリアが成立。

建国者はセレウコス1世、都はアンティオキア。

セレウコス朝の統治下で、ギリシア文化が広範な地域に広がり、都市の設計や行政制度、芸術や哲学、科学など、多くの分野でその影響が見られる。公用語としてもギリシア語を使用。
一方で、メソポタミアやペルシアといった古代からの伝統的な文化も尊重し、これらの文化とギリシア文化との融合が進む。宗教面では、ギリシアの神々と現地の神々が結びつき、新しい形の信仰や神話も生まれた。

セレウコス朝は2世紀以上にわたり繁栄したものの、次第にローマ帝国の影響を受けるようになり、最終的にはローマのポンペイウスによって征服されることとなった。
滅亡年については、どの段階で「征服」とするかで見方が分かれているため、前64年とする場合や前63年とする場合がある。

 

※ 理解を優先するために、あえて大雑把に書いてある場合があります

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