世界史用語:隋(ずい)

589年に中国を再統一した王朝。
建国者は楊堅(よう けん)で、都は大興城(長安)に置かれた。
(補足)
建国自体は581年。
楊堅は、元々は南北朝時代の北朝の北周における外戚(皇帝の母または皇后の一族)。
権力を握り、国を奪う形で隋を建国。

589年に南朝の陳を滅ぼすことによって中国を再統一し、南北朝時代が終わることとなった。

楊堅は中央集権の強化、法律の整備、経済の活性化など、国内の改革を進めた。
特に、科挙制を実施したことで有名。
また、大運河の建設は、北方と南方の経済や文化の交流を促進し、隋の統一政策を支える重要な役割を果たした。

しかし、過度の徴税や度重なる軍事遠征(特に高句麗遠征)などが民衆の負担となる。
農民反乱などが起こり、わずか2代の短命で滅びることとなった。

なお、聖徳太子が遣隋使を派遣した「隋」のこと。
聖徳太子の手紙で激怒した皇帝が2代目の煬帝(よう だい)。

 

※ 理解を優先するために、あえて大雑把に書いてある場合があります

 
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