唐の玄宗の治世(の一時期)で、唐の安定期・繁栄期を指す言葉。
具体的には、元号が「開元」であった713~741年までの約30年間。
具体的には、元号が「開元」であった713~741年までの約30年間。
(補足)
玄宗が武韋の禍(則天武后の即位、韋后による政権奪取未遂による混乱)を収束させ、その後に迎えた安定期・繁栄期。
玄宗が武韋の禍(則天武后の即位、韋后による政権奪取未遂による混乱)を収束させ、その後に迎えた安定期・繁栄期。
官僚制度の整備・科挙の拡大と改善、税制の改革、軍事の強化などが行われ、国家の基盤が固められた。
また、文化面では、詩文、絵画、音楽などが大いに発展し、唐の文化が全盛期を迎えた。
遠方の国々との交流も活発となり、特に都の長安は国際色豊かな都市となった。
一方、玄宗は晩年には政治に身が入らなくなっていき、安史の乱なども起こることになる。
総じて、唐は衰退期に入っていくことになる。
100年以上後のことではあるが、894年には日本からの遣唐使も、行程の安全性の問題や、そもそも学ぶべきことに乏しくなったことで、中止されることになった。
※ 理解を優先するために、あえて大雑把に書いてある場合があります |
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