世界史用語:聖山事件(せいざんじけん)

前494年に古代ローマで発生した平民のストライキ事件。
社会的不平等や不満を背景に起こり、平民(プレブス)が貴族階級(パトリキ)に対して自らの権利を主張するきっかけとなった。
(補足)
共和政ローマの初期には社会的、経済的な格差が存在し、特に戦争の影響で多くの平民が負債を抱えていたが、当時の法律は債務不履行に対して非常に厳しく、多くの平民が奴隷として売られることも珍しくなかった。このような状況の中で、平民が自らの権利や生活環境の改善を求める声を上げていった、というのが背景。

聖山事件自体は、前494年、多数の平民がティベル川沿いにあるアウェンティヌスの丘に集結(「聖山」と呼ばれる場所とは違うという説がある)。ストライキや抗議活動を行い、市内の活動を事実上停止した。
これは、ローマの防衛も放棄するという意味でもあるため、貴族にとっても困る行動であった。

平民たちは、具体的には、負債の救済や法的保護を求めるとともに、護民官の2人を平民から出すことを要求。貴族側は仕方なくこれを承諾することになった。

なお、これ以降も、平民の権利は徐々に高まっていった。

 

※ 理解を優先するために、あえて大雑把に書いてある場合があります

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