世界史用語:安史の乱(あんしのらん)

755~763年にかけて唐で起こった大規模な内乱。
反乱軍は洛陽などを陥落させたが、唐側はウイグル人の協力を得る等して何とか鎮圧。
しかし、王室権威の失墜など、中央政府の弱体化や地方勢力の台頭を招いた。
(補足)
玄宗が皇帝の時に起こった。
玄宗が寵愛した楊貴妃一族の勢力拡大に対抗し、節度使の安禄山と、その部下の史思明が起こした反乱。

戦いは長期化し、玄宗も避難を余儀なくされた(玄宗の死後も戦いは続いた)。

また、安禄山は洛陽の陥落後、「燕」国の皇帝を宣言。その後、後継問題に関連して、次男の安慶緒(あん けいしょ)によって暗殺され、慶緒が2代目皇帝として即位。
それを聞いた史思明が安慶緒を殺して、3代目皇帝として即位したが、史思明についても後継問題に関連して、長男の史朝義(し ちょうぎ)によって殺され、朝義が4代目として即位。
こうしたゴダゴダもあり、安史の乱は鎮圧に向かう。

戦いの後、節度使勢力を弱体化させる目的で、多数の節度使を設置(分割することで、1つ当たりの勢力を小さくするため)。
しかし、実際にはこれが裏目に出て、ただただ「地方に節度使勢力が多数できる」という状態ができてしまった。

 

※ 理解を優先するために、あえて大雑把に書いてある場合があります

 
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