世界史用語:大秦国王安敦(だいしんこくおうあんとん)

ローマ帝国の皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌスの、中国における呼称。
後漢時代の中国に向けて使者が派遣され、166年に日南郡(現在のベトナム中部)までやってきた。
(補足)
別件だが、約70年前、班超の部下の甘英がローマ帝国に派遣されている(このときは失敗)。
このこととの直接的な因果関係があるかは不明だが、総じて言えば、ともに中国とローマ帝国が直接交流しようとした事例であると言える。

なお、この大秦国王安敦の使者については、実際にはローマ帝国の公式な使節ではなく、商人や冒険家である可能性が高いとされる。
(自称としては、ローマ帝国からの使者)

 

※ 理解を優先するために、あえて大雑把に書いてある場合があります

 
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