世界史用語:垓下の戦い(がいかのたたかい)

秦の後継をめぐる戦い(楚漢戦争)の最終決戦。前202年。
劉邦が項羽を破り、中国全土を支配することとなった。
(補足)
秦王朝は始皇帝の死後、2代目の失政や、(始皇帝の時からの)圧政に対する不満の爆発により、急速に衰退する。
陳勝呉広の乱(前209~208年)を経て、前206年に後の前漢の建国者となる劉邦が咸陽(秦の都)を占領し、秦は滅亡した。

その後、劉邦と楚の将軍であった項羽が、覇権をめぐって争った。これが楚漢戦争。
戦況は一進一退で、劉邦が大ピンチになった局面もあったが、最終的に垓下の戦いで勝利した。

なお、「四面楚歌」の逸話が生まれたのもこの垓下の戦い。
項羽が包囲された状況で、敵軍側から(自分の故郷であるはずの)楚の民謡が聞こえてきたというもの。
楚の人にまで見捨てられた、というように感じ、転じて「完全な孤立や絶望的な状況にあること」を表す四字熟語として使われるようになった。

 

※ 理解を優先するために、あえて大雑把に書いてある場合があります

 
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