世界史用語:単性論(たんせいろん)

カルケドン公会議(451年)で異端とされたキリスト教の教義。
イエス・キリストは神性と人間性を持つが、これらが1つに統合されていて区別はできないとする考え。
(補足)
単性論と対立する二性論では「(単性論と同じく)イエス・キリストは神性と人間性を持つが、これらは別々に存在している」という考え。

例えるなら、
単性論の方は、コーヒーとミルクを混ぜてカフェラテになっているようなイメージ、
二性論の方は、コーヒーの上にそっとミルクを注いで、コーヒー層とミルク層に分かれた状態のままのイメージ(もしくは、「水と油」の事例のイメージ)。

宗教的には、二性論の方は、両者が分離していることから「イエスが人間の罪と苦しみを完全に理解し、それを超えて人間を救済できる」という考えに至ることができるが、
単性論の方はそうではないため「イエスが本当に人間の苦しみや誘惑を経験したのか」や「完全なる神の特性を持っているのか」といった疑問が生じることになり、イエスの救済がどれだけ有効なものなのかあやしくなってくる、という議論に向かってしまう。

こうしたことから、カルケドン公会議では単性論は異端ということになった。

なお、現在、エジプトやエチオピアに残るコプト派というキリスト教の宗派はこの単性論の考えを踏襲している。
(違いはあるため、単性論そのものではない)

 

※ 理解を優先するために、あえて大雑把に書いてある場合があります

 
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