世界史用語:八王の乱(はちおうのらん)

晋の衰退期に起こった皇族間の争い。290~306年。
8人の王(皇族)が相次いで反乱を起こし、晋王朝の弱体化を加速させた。
(補足)
八王とは、具体的には、司馬亮(汝南王)、司馬瑋(楚王)、司馬倫(趙王)、司馬冏(斉王)、司馬乂(長沙王)、司馬穎(成都王)、司馬顒(河間王)、司馬越(東海王)のこと。
中国全体のトップは皇帝だが、地方では皇族が王として統治していた、という構造。
(皇帝は諸王の王という関係性)

恵帝の失政に乗じ、皇后の賈(か)氏一族が朝廷勢力を独占しようとしたことが八王の乱のきっかけとなった。

八王の乱によって、中央集権的な皇帝権力が弱体化し、地方の軍閥や民族勢力が台頭することとなった。
その後、匈奴らの侵入を許すことになり、結果的に晋は滅亡することになった。

 

※ 理解を優先するために、あえて大雑把に書いてある場合があります

 
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