世界史用語:マウリヤ朝

古代インド初の統一王朝。前317年頃に成立。
マケドニアのアレクサンドロスの遠征により統一機運が高まっていたことが背景にある。

創設者はチャンドラグプタ、都はパータリプトラ。

(補足)
正確にはマガダ国という国の王朝。
前322年または前321年にチャンドラグプタがマガダ国の支配権を確立したとされ、このときをマウリヤ朝の成立とする場合もある。

中央集権的な政治システム、効率的な行政組織、広範囲に及ぶ通商ネットワークを特徴としていた。

最盛期は3代目のアショーカ王のときで、インド亜大陸のほぼ全域を支配下に置いた。
カリンガ地方への遠征が悲惨だったことでアショーカ王自身が仏教に改宗し、非暴力と宗教的寛容の政策を推進。多くの仏教遺跡や記念碑(石柱碑や磨崖碑)を建設した。

アショーカ王以降は、有力な後継者が現れなかったり、バラモン教との対立もあったことから衰退していく。
前180年ごろに滅亡。

 

※ 理解を優先するために、あえて大雑把に書いてある場合があります

 
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