世界史用語:パルティア

セレウコス朝シリアの領域から独立した国家。「安息国」とも呼ばれる。
前248年頃にイラン系の人々によって独立が宣言された。
(補足)
現在のイラン北東部から中央アジアにかけての地域で、古代シルクロードの主要な交易路上に位置し、重要な商業と文化の中心地となった。
イラン系の文化を基盤としながらも、周辺地域の多様な文化的要素を取り入れ、独自の王国を築いた。
政治体制は、地方分権体制に近いサトラップ制。

軍事力は強力で、重装騎兵と弓騎兵を活用した戦術で知られている。
特に、騎兵が退却するふりをして敵を追わせ、突然振り返りながら後方に矢を放つ戦術を「パルティアン・ショット」と言う。

その後、ローマ帝国との戦いにより疲弊。
224年にササン朝ペルシアによって滅亡。

なお、パルティアの独立に先立ち、前255年頃には隣接するバクトリア(ギリシア系)もセレウコス朝からの独立を果たし、パルティアと共にヘレニズム世界の東端を形成した。

 

※ 理解を優先するために、あえて大雑把に書いてある場合があります

 
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