世界史用語:バビロン捕囚(ほしゅう)

前586年、新バビロニアの王ネブカドネザル2世がユダ王国を征服した際、ヘブライ人(ユダヤ人)がバビロンまで連行され、
その後、約70年間にわたって監禁された出来事。
(補足)
※ 漢字は「因」ではなく「囚」

「監禁」と言っても、牢屋の中にいたわけではない。差別的な扱いはあった可能性が高いが、比較的自由な生活は行われていた。
「捕囚」という言葉は、故郷から離れて他国で生活することを指している。

アケメネス朝ペルシアのキュロス2世が新バビロニアを征服し、ヘブライ人は帰ることを許された。
新バビロニアによって破壊されていたイェルサレムの神殿などを再建したりしながら、民族意識や結束を高めていった。

こうしたことは、ユダヤ教の信仰や宗教的実践に大きく影響し、後にユダヤ教のラビ文化やシナゴーグの発展につながった。
(ラビとはユダヤ教における指導者・教育者のこと、シナゴーグとは礼拝所のこと)

バビロン捕囚は旧約聖書においても重要なテーマで、ヘブライ人が直面した試練と神への信仰の重要性が強調されている。

 

※ 理解を優先するために、あえて大雑把に書いてある場合があります

 
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