世界史用語:コンスタンティノープル

現在のイスタンブール(トルコ)に当たる都市。
ローマ帝国時代の330年に、コンスタンティヌス帝によっての新しい都として定められた。

その後も、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の中心地として、中世を通じて重要な政治、文化、宗教の中心であり続けた。

(補足)
名称はコンスタンティヌス帝の名にちなんだもの。
ビザンティウム(古代ギリシア時代はビザンティオン)から改称された。

ヨーロッパとアジアを結ぶ交易路の要衝に位置し、かつ、地形的に防衛しやすかったこともあって新たな都として都合がよかった。
また、ローマ帝国の末期には中心地がイタリア半島からこちらに移ってきていた、という背景もあった(ローマの様々な設備の劣化が進んでいたということもある)。

ビザンツ帝国時代には、ユスティニアヌスによってハギア・ソフィア聖堂が造られている。

なお、1204年には第4回十字軍の攻撃を受け、一時的に占領を受け、
その後、1453年にオスマン帝国によって征服され、イスタンブルに改称されることとなった。

 

※ 理解を優先するために、あえて大雑把に書いてある場合があります

 
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