世界史用語:エトルリア人

前7世紀頃に古代のイタリアで強勢となり、一時的にローマも支配した民族。
ローマにとっては成立して間もない頃に支配を受けることになったが、前509年に独立した。
(補足)
イタリア半島の中央部、特に現在のトスカーナ、ウンブリア、ラツィオ地方に広がるエトルリア地方に居住していた民族。
それ以前はどこから来たか不明だが、一説によるとリディアの方からとも言われている。

文化面では、金属加工や彫刻、陶芸などの芸術面や建築面において優れていたが、一方で古代ギリシア文化の模倣的とする見方もある。
ただ、いずれにせよ、ローマの神話、宗教、芸術、建築には大きな影響を与えている。

王政ローマ期には、ローマの王の中にはエトルリア出身の者も多数いたが、前509年にローマ市民がエトルリア人の王タルクィニウス・スペルブスを追放し、共和政ローマを設立。
前4世紀頃には、エトルリア人の力は衰退し、次第にローマの影響下に入るようになった。

 

※ 理解を優先するために、あえて大雑把に書いてある場合があります

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