世界史用語:アクティウムの海戦

前31年に起こった、オクタウィアヌスとアントニウスの間の戦い。
アントニウスはエジプトのクレオパトラと同盟を組んでいたが、オクタウィアヌス側が勝利した。
(補足)
共和政ローマにおける、第2回三頭政治の崩壊後の権力争い(のピーク)。

ギリシアのアクティウム沖で行われ、オクタウィアヌスの軍がアントニウスの軍を破った。
この戦いの勝利により、オクタウィアヌスはローマの実質的な支配者となり、後の帝政ローマの基盤を築いた。

一方、アントニウスとクレオパトラは敗北後、エジプトへ逃れたが、その後間もなくして自らの命を絶った。
なお、一般的には、クレオパトラは毒蛇(コブラ)に噛ませたと言われている。

 

※ 理解を優先するために、あえて大雑把に書いてある場合があります

 
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