学校や塾での勉強が将来の役に立つのか半信半疑の人も多いと思いますが、結論から言えば「役に立ちます」し、「役に立つような勉強の仕方」をしなければいけません。
(1)最重要は「論理的思考」の獲得
何のために勉強しているのかと問われると、それは何よりも「論理的思考ができるようになるため」だと考えます。
「こうだからこう」というようにきちんと考えられ、さらには説明できるかどうか、ということで、これは社会に出ると真っ先に必要となるスキルです。
例えば、ある商品を販売しようとするとき、買い手に対して、単に「買って~」ではなく、「この商品はこういうもので、(あなたにとって)こういうメリットがあるので、ご購入することをお勧めします」のように説明した方がいいわけです。
①
思考方法には、演繹法と帰納法と呼ばれる切り口があります。
まず帰納法については「いろんな事例を踏まえると、どうやら共通してこういうことが言えそうだ」というもので、例えば化学で「こういう現象や、こういう現象が起こることを踏まえると、どうやら分子というものがあるようだ」というような思考方法です。
ものすごく簡略化すると「Aさんにこういうことを言う度に不機嫌になることを踏まえると、どうやらAさんはプライドが高い人のようだ」みたいなことです。
②
演繹法は「常にこういうことが言えるのなら、今回もこうなる」というようなもので、
例えば数学で「直角三角形なら常に三平方の定理が成り立つので、今回の直角三角形ABCでも斜辺の長さは他の2辺から求まる」という思考方法です。
こちらもものすごく簡略化すると「Aさんは常にプライドが高いので、今回、こういうことを言うと怒る(だろう)」みたいなことです。
実は社会人生活や日常生活ではこの2つの思考を行うことが非常に多く、無意識も含めて、これらができるかどうか、というのは想像以上に重要なことです。
何かと賛否両論のある現在の教育システムも、
「いろんな問題を解いてみて、たぶんこういうことなんだろう」と思うこととか、
「こういうことを習ったので、試しにこの問題に当てはめてみる」ということは、帰納的思考・演繹的思考を獲得するという点では、決して悪いことではないと考えています。
支離滅裂が許される環境にいれるのなら別に構いませんが、やはり一般論としては、こうした点で学校教育にも意味を感じてもらいたいなと思います。
(2)しかも実学を兼ねている
もちろん「因数分解」自体がすべての人の将来に役立つかと言えば、そんなことはありません。その点で言えば、(1)の思考トレーニングの一環としての話です。
ただし、将来、学者になって研究したい人にとっては、そのまま「道具」になります。
理科の分野はもっと直接的に将来の役に立つ可能性も高いです。
こうしたことを踏まえると、意外と(?)学校教育は「実際に役に立つかもしれないことで、論理的思考のトレーニングをしている」という面もあるわけです。
(3)人脈などにも影響
さらに直接的なこととしては、勉強の結果が人脈に影響してくる可能性が高いです。
もちろん、どういう人に出会うのがよくて、出会わないのがいいのか、というのは一概に言えませんし、人にもよりますが、
もしも「優秀な人・すごい人」と出会いたいのであれば、学力をつけることが一番手っ取り早いです。
実は、入試には基本的に差別はありません。
一部の前近代的な例外を除けば、「学力が到達していれば入学できる」というだけのシンプルな仕組みで、家柄などで差別されるものではありません。
何も全員に「東大に行け」と言いたいわけではありません。そうではなく「今の自分なりに少しでも頑張る」ということをすれば「少しだけでも可能性は広がる」ということです。
勉強は将来の役に立たないと思った瞬間にすべてが終わります。
将来の役に立つようにするにはどう勉強すればいいのか、という観点で望むようにしてください