〔質問〕 アマルナ改革はなぜ行われたのですか? |
〔回答〕 アマルナ改革の背景には、特にアモン神殿の司祭階級が強大な影響力を持つようになったことがあります。 つまり、従来の宗教構造(アモンを中心とする多神教)を改めることで、その勢力を抑え込もうとした、というものです。 ※ アメンホテプ4世が太陽神アトンに対する一神教的な信仰を持っていた、ということももちろんありますが、上記のような政治的・社会的駆け引きがあった、ということです。 |
〔補足〕
都がテル・エル・アマルナに遷されたことも、従来のテーベ(アモン神殿がある)が司祭勢力の拠点であったことが背景にあります。
ただ、実際には社会混乱を招いたため、アメンホテプ4世の死後は宗教も都も元に戻されました。
都がテル・エル・アマルナに遷されたことも、従来のテーベ(アモン神殿がある)が司祭勢力の拠点であったことが背景にあります。
ただ、実際には社会混乱を招いたため、アメンホテプ4世の死後は宗教も都も元に戻されました。
なお、統治者が宗教勢力に手を焼くということは結構多くあります。
例えば、日本でも織田信長が比叡山延暦寺の焼打ちをしましたが、これを宗教弾圧と見るとやや違っていて、実際には延暦寺が抱える僧兵と呼ばれる武力を抑え込むというのが主な目的でした。
※ 理解を優先するために、あえて大雑把に書いてある場合があります |
---|
アンケートへのご協力をお願いします(所要2~3分) |
---|
「将来設計・進路」に関するアンケートを実施しています。ご協力いただける方はこちらよりお願いします (Googleフォームにアクセスします) |