1946年11月3日に公布、47年5月3日に施行された現行憲法。国民主権・平和主義・基本的人権の尊重を三原則として作られた。
(補足)
GHQの五大改革指令の1つとして憲法の自由主義化が命じられた。そこで、幣原喜重郎 内閣は松本烝治 国務大臣を中心とする憲法問題調査委員会を設置し、試案である憲法草案要綱を作ってGHQに提出した。
しかし、大日本帝国憲法の一部修正に過ぎない内容であったため、GHQはこれを拒否し、独自の憲法草案(マッカーサー草案)を提示。それを受けて、修正も重ねながら日本政府案が作られた。
その後、枢密院及び帝国議会で可決され(この時点ではまだ大日本帝国憲法下での制度であるため)、大日本帝国憲法の改正という形で日本国憲法は公布、施行された。
GHQの五大改革指令の1つとして憲法の自由主義化が命じられた。そこで、
しかし、大日本帝国憲法の一部修正に過ぎない内容であったため、GHQはこれを拒否し、独自の憲法草案(マッカーサー草案)を提示。それを受けて、修正も重ねながら日本政府案が作られた。
その後、枢密院及び帝国議会で可決され(この時点ではまだ大日本帝国憲法下での制度であるため)、大日本帝国憲法の改正という形で日本国憲法は公布、施行された。
日本国憲法の制定によって、天皇は国民統合の象徴となり(象徴天皇制)、戦争放棄についても規定された。
※ 理解を優先するために、あえて大雑把に書いてある場合があります |
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