日本史用語:閔妃殺害事件(びんひ(みんび)さつがいじけん)(別称:乙未の変)

親露政策をとっていた閔妃(朝鮮国王の妃)を殺害した事件。1895年
(補足)
乙未の変(いつびのへん)ともいう。
三国干渉で日本の勢いがやや陰ったタイミングで、閔妃らがロシアの協力を得て政権を奪還し、親露反日政策採った。これを受けて、駐朝公使の三浦梧楼(みうらごろう)らは日本軍人などを王宮に乱入させて閔妃を殺害した。
しかし、この事件以降、朝鮮はさらにロシアに接近した。

※「閔妃」の読み方は「びんひ」でも「みんび」でも可

〔閔妃関連の整理〕
大院君から政権を奪う。親日派政権(1873年)
壬午軍乱が起こるも清の協力で鎮圧(1882年)
→ 気持ちが変わり、親清派に
甲申事変が起こるも清の協力で鎮圧(1884年)
→ 日清戦争時に政権を失う(1894年)
→ 親露派となり、政権を取り返す
→ 閔妃殺害事件で殺害される(1895年)

 

※ 理解を優先するために、あえて大雑把に書いてある場合があります

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