日本史用語:甲午農民戦争(こうごのうみんせんそう)

1894年に朝鮮南部で起こった農民反乱。日清戦争のきっかけになった。
(補足)
東学の乱ともいう。
東学は儒教・仏教・道教等を融合させた信仰で、1860年以降、農民層に広まっていった。朝鮮政府は東学を禁じ、教祖である崔済愚(さいせいぐ)を処刑したが勢いは収まらなかった。
そして1894年に全羅道古阜(こふ)での農民反乱をきっかけに、全琫準(ぜんほうじゅん)ら東学幹部を中心とする農民反乱が朝鮮南部全土で起こった。これが甲午農民戦争。

朝鮮(の閔氏)は清に支援を要請し、清が出兵。これに対抗して日本も出兵した(※)ことで、反乱は収まることになった。
※ 清だけで反乱を鎮圧したら、清と朝鮮の結びつきが強くなり、日本が朝鮮に付け入る隙がなくなってしまうため

しかし、朝鮮をめぐる日本と清のにらみ合いが続き、結果として日清戦争が起こることになった。

 

※ 理解を優先するために、あえて大雑把に書いてある場合があります

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