日本史用語:下関条約(しものせきじょうやく)

1895年4月に調印された日清戦争の講和条約。日清講和条約とも呼ばれる。
・清国側代表:李鴻章(りこうしょう)
・日本側代表:陸奥宗光(むつむねみつ)伊藤博文(いとうひろぶみ)
(補足)
主な内容は、
・清国は朝鮮の独立を認める(← 後で奪いやすくするため)
・清国は遼東(りょうとう)半島・台湾(たいわん)澎湖(ほうこ)諸島を日本に割譲
・清国は2億両(テール)(約3億1000万円)の賠償金を日本に支払う
・清国は沙市(さし)重慶(じゅうけい)蘇州(そしゅう)杭州(こうしゅう)を開港する
・通商航海条約の締結と最恵国条款(※)の確立
の5つが挙げられる。
この条約によって日本は遼東半島を一時獲得したが、三国干渉を受けて清に返還。その見返りに清国から3000万両の賠償金を受け取った。
日清戦争によって得られた賠償金の6割ほどが軍備拡張に充てられた。

※ 最恵国条款(さいけいこくじょうかん):他国がより有利な条件で(貿易関係の)条約を結んだときは、同じ条件を自分にも適用させるというもの。一番いい待遇を受けられるようにする。
今回のケースだと、清がどこかの国との間でいい条件の条約が結ばれたなら、日本にも同じ条件で貿易させるというもの

 

※ 理解を優先するために、あえて大雑把に書いてある場合があります

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