日本史用語:道鏡(どうきょう)

人物名。孝謙(こうけん)天皇の信任を得て法王になったが、称徳天皇(孝謙天皇と同一人物)の死後に左遷された。
(補足)
孝謙(こうけん)天皇(正確には退位後のタイミング)の病気を癒したことで信任を得た(孝謙天皇は聖武天皇の娘)。

764年、道鏡を排斥しようとした恵美押勝(えみのおしかつ)(藤原仲麻呂)が挙兵するも失敗。この事件をきっかけに当時の天皇の淳仁(じゅんにん)天皇は配流され、代わりに孝謙天皇が称徳(しょうとく)天皇として再度即位した。道鏡は、称徳天皇即位後の765年に太政大臣禅師、そして翌年法王に就任し天皇に次ぐ身分となった。

その後、道鏡は皇位継承をもくろみ、769年に宇佐八幡宮信託事件を起こしたが失敗。称徳天皇の死後、下野薬師寺(しもつけやくしじ)に左遷された。

 

※ 理解を優先するために、あえて大雑把に書いてある場合があります

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