日本史用語:遣隋使(けんずいし)

倭から隋に派遣された外交使節
(補足)
「隋書」倭国伝によると4回(600、607、608、614年)、「日本書紀」によると3回(607年、608年、614年)派遣されたとされている。
(600年の遣隋使は「隋書」倭国伝にのみ記載)

1回目の遣隋使以降、憲法十七条を定めたり、冠位十二階を制定したりして国内の政治制度や階級制度を中国風に整備した。607年には小野妹子(おののいもこ)らが隋に派遣され、翌年、答礼使(とうれいし)裴世清(はいせいせい)とともに帰国した。
3回目は裴世清の送使として小野妹子が派遣され、高向玄理(たかむこのげんり)僧旻(そうみん)南淵請安(みなぶちのしょうあん)らが同行。
4回目では犬上御田鍬(いぬがみのみたすき)が派遣された。

 

※ 理解を優先するために、あえて大雑把に書いてある場合があります

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