日本史用語:治承・寿永の内乱(ちじょう・じゅえいのないらん)

以仁王の令旨に呼応した武士たちによる争乱。
(補足)
1180年4月に白河天皇の皇子である以仁王(もちひとおう)は諸国武士たちに対して平氏追討を命じた。この命令に呼応して各地の武士たちは平氏打倒の軍事行動を次々と起こし争乱は全国に展開した。
この争乱は以仁王の令旨(りょうじ)によって始まり、1185年の壇ノ浦(だんのうら)の戦いで終結した。

 

※ 理解を優先するために、あえて大雑把に書いてある場合があります

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