日本史用語:観応の擾乱(かんのうのじょうらん)

室町時代初期の幕府内での内紛。「足利尊氏(たかうじ)高師直(こうのもろなお)」側と「足利直義(ただよし)」側の間での紛争。
(補足)
室町幕府は成立当初、足利尊氏と足利直義兄弟による二頭政治を敷いており、足利尊氏は軍事面を運営し、足利直義は行政面を運営していた。しかし、政治方針の違いから、足利尊氏とその執事である高師直は足利直義と対立するようになった。
対立は1350年には武力衝突に発展し、1351年に高師直が殺害され、1352年に足利直義が殺害されるも抗争は続いた。
 
この抗争では、両者が南朝と関係を持つなどしたために長期化した。

 

※ 理解を優先するために、あえて大雑把に書いてある場合があります

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