日本史用語:乙巳の変(いっしのへん)

中大兄皇子(なかのおおえのおおじ)中臣鎌足(なかとみのかまたり)らが蘇我(そが)氏本宗家の政権を打倒した政変。
(補足)
皇極(こうぎょく)天皇の時代の645年6月に起こった政変。
当時、蘇我氏は朝廷で有力な地位にあり、大臣(おおおみ)に就任した蘇我蝦夷(えみし)大夫(まえつきみ)を主導して舒明(じょめい)天皇や皇極天皇の即位を決めたり、蝦夷の息子の蘇我入鹿(いるか)が皇位継承の有力候補であった山背大兄王(やましろのおおえのおう)を襲撃し自殺させて権力の集中を図ったりしていた。
そんな中で、中大兄皇子や中臣鎌足らは大極殿で蘇我入鹿を殺害。その後、蘇我蝦夷が自殺したことで蘇我氏本宗家の政権を打倒した。

 

※ 理解を優先するために、あえて大雑把に書いてある場合があります

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