世界史用語:律令制(りつりょうせい)
唐で採用された古代中国の法体系。 「律」は刑法を、「令」は行政法を指し、中央集権体制の確立やと社会秩序を維持する目的で定められた。 (補足) 古代中国における法体系の(ひとまずの)完成形。 厳密には、律と令の改正規定であ […]
唐で採用された古代中国の法体系。 「律」は刑法を、「令」は行政法を指し、中央集権体制の確立やと社会秩序を維持する目的で定められた。 (補足) 古代中国における法体系の(ひとまずの)完成形。 厳密には、律と令の改正規定であ […]
南北朝時代の西魏(北朝)に始まる軍事制度。隋や唐でも導入された。 「均田制の下、農民の中から兵士を徴兵する」というニュアンスの制度。 (補足) 屯田制で見られた「開拓目的」というよりは、単純な(農民に対する)徴兵制のイメ […]
唐の第2代皇帝である李世民(太宗)の治世を指す言葉。 具体的には626~649年まで期間で、唐の政治的基盤を確立し、国内の安定と繁栄を実現した。 (補足) 唐の創始者である李淵(高祖)の治世は8年ほどで、実質的に唐の基盤 […]
特に唐など、歴代の中国王朝が採用したい異民族に対する統治政策。 異民族を完全に支配するのではなく、一定の自治を認めつつ、中央政府の管理下に置くというもの。 (補足) 地元の首長や部族長に一定の権限を保持させることで、征服 […]
中国の唐(初期)において設置された、征服した異民族を監督し、管理するための機関。 (補足) 唐では、征服した異民族を完全に支配するのではなく、一定の自治を認めつつ、中央政府の管理下に置くという間接統治が採られた(羈縻(き […]
唐の第3代皇帝の高宗の后。 690年に中国史上唯一の女帝となり、「周」の建国を宣言した。 (補足) 高宗の死後、息子たち(2人)の即位及び廃位を挟んでから即位。 かつての周と区別するために「武周」と呼ばれることもある。 […]
則天武后が690年に建国した国。 事実上、唐の中断期とみなされることが多く、則天武后の一代で終わった。 (補足) かつての周と区別するために「武周」と呼ばれることもある。 則天武后は、唐の高宗死後、(正確には息子2人の即 […]
唐の時代における、則天武后と韋后による政治的混乱を指す言葉。 最終的には玄宗が韋后らを追放することで解消。 (補足) 則天武后は、唐の高宗死後、(正確には息子2人の即位及び廃位を挟んだ後に)自ら帝位につき、中国史上唯一の […]
唐の第6代皇帝。武韋の禍の混乱を収束し、即位した。 玄宗の治世は「開元の治」と呼ばれ、唐の繁栄期を迎えた。 (補足) 本名は李隆基。 官僚制度の整備・科挙の拡大と改善、税制の改革、軍事の強化などが行われ、国家の基盤が固め […]
唐の玄宗の治世(の一時期)で、唐の安定期・繁栄期を指す言葉。 具体的には、元号が「開元」であった713~741年までの約30年間。 (補足) 玄宗が武韋の禍(則天武后の即位、韋后による政権奪取未遂による混乱)を収束させ、 […]