日本の戦後処理方針と日本軍の無条件降伏を勧告した宣言。日本は1945年8月14日に勧告を受諾し、無条件降伏した。
(補足)
1945年7月のトルーマン(米)、チャーチル(英)、スターリン(ソ)によるポツダム会談を経て、アメリカ、イギリス、中国の名で発表された。
ポツダム会談自体では、他にドイツの戦後処理(すでに降伏)などについても話されている。
1945年7月のトルーマン(米)、チャーチル(英)、スターリン(ソ)によるポツダム会談を経て、アメリカ、イギリス、中国の名で発表された。
ポツダム会談自体では、他にドイツの戦後処理(すでに降伏)などについても話されている。
ポツダム宣言には「国体護持」(天皇制の維持)が明記されていなかったため、発表の直後はこれを無視した。
しかし、広島(45年8月6日)と長崎(8月9日)への原子爆弾投下や、8月8日にソ連が日ソ中立条約を破棄して満州や朝鮮に侵攻したことを受け、御前会議でポツダム宣言の受諾を決めた。
※ 理解を優先するために、あえて大雑把に書いてある場合があります |
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