〔質問〕 なぜ、フランスと違って、神聖ローマ帝国では実質的な分裂状態になっていったのですか? |
〔回答〕 何点か要因が考えられ、神聖ローマ帝国では、 ・特に大空位時代やカノッサの屈辱があった等、皇帝に対して頼りなさが見られた。 ・エリア的に、ゲルマン人だけでなく、イタリア人、スラヴ人、その他諸民族を抱えていた。 ・皇帝が選挙で選ばれる制度だったため、少なからず(選帝侯にも)権力が分散してしまった。 ことを背景に領邦国家体制になりやすかったことや、 特に近世以降では、 一方、フランスに関しては封建制を上手く用いながら中央集権化することに成功した、ということもあります。 |
〔補足〕
なお、神聖ローマ帝国が初めから分裂状態であったわけではなく、例えば建国時のオットー1世の頃には皇帝にも権威がありました。
それが長続きしなかった、ということでもあります。
なお、神聖ローマ帝国が初めから分裂状態であったわけではなく、例えば建国時のオットー1世の頃には皇帝にも権威がありました。
それが長続きしなかった、ということでもあります。
※ 理解を優先するために、あえて大雑把に書いてある場合があります |
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