【質問】世界史:ウィーン体制についての記述

〔質問〕
ウィーン体制について各列強の政策に触れて120文字で述べろという問題が出されました。
そこで、ロシアは東方問題、イギリスは孤立主義と大体予想はつくのですが、フランスやオーストリアなどの国がどのような政策を取っていたか教えてください。
答えではなくてどうやってまとめればいいかお願いします。
〔回答〕
(あくまでターンナップとしての推奨です)
 
ウィーン体制についての記述ですので、「保守反動」のこと、つまりフランス革命以前の体制に戻そうとしたということを軸に論じた方がいいと思います。フランスやスペインでのブルボン家の復活(ルイ18世・シャルル10世の反動政治)が代表的です。
(字数がいけそうなら、勢力均衡(一国だけが飛び抜けないようにした)を図ったことも記述すればなおOK)
 
さらに、これに加えて、この時代は各地で「自由主義」の動きが起こるわけですが、ウィーン体制の立場としてはこれを抑圧する方ですから、ドイツやイタリア、ロシアでそうした運動を弾圧したことを書けばいいと思います。オーストリアのメッテルニヒもこれを弾圧しています。
 
一方で、イギリスについては、自由主義政策を採って五国同盟から実質的に抜けたことで(+その他、各地で革命も起こったことで)、ウィーン体制は崩壊に向かった、という感じで触れるといいと思います。
 
ちなみに、孤立主義というのはアメリカ(モンロー主義)のことでしょうか?(イギリスの孤立主義がテーマになるのは19世紀後半)
ウィーン体制そのものというよりは、合衆国がヨーロッパと距離を置いたということですので、無理に書かなくてもいいかなとは思います。
また、ロシアの南下政策(特にクリミア戦争)も、どちらかというとウィーン体制のほころび、つまり各国が自身の利害を追うようになったことの表れですので、書くのであれば補足的に記すくらいでいいと思います。
あと、オーストリアについては、神聖ローマ帝国が復活せず、大ドイツ主義を提唱してこの地域の盟主になろうとしましたが(ただし失敗)、このことよりは問題文の意図としては自由主義運動の弾圧の方をメインで持ってきた方がいいように思います。

 

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