中学歴史:大和政権

<ポイント>
・3世紀後半に大和(奈良県)を中心として、強力な大和政権をつくった
・大和政権の王を大王(おおきみ)といい、大和政権の政府を朝廷という
・大和政権は氏姓制度を用いて政治を行っていた
(1)大和政権
3世紀後半に大和(奈良県)を中心として近畿の有力な豪族たちが集まって、強力な大和政権をつくりました。
5世紀後半には九州から関東地方にまで、政権の力が及んでいました。
この大和政権における王を大王(おおきみ)、その政府を(大和)朝廷といいます。
なお、朝廷とは「大王(天皇)が政治を行うところ」という意味です。

この大和政権は大王を中心とする豪族たちの集まりで、有力な豪族は(うじ)とよばれる集団をつくっていました。
(蘇我氏や物部氏などの、「氏」)
大王は豪族(氏)たちに「政権での地位を表す」(かばね)を与えて仕事を分担させていました。

姓にはいくつか種類があり、「臣(おみ)、連(むらじ)、君(きみ)、造(みやつこ)」などがありました。

このような政治の仕組みを氏姓制度といいます。

(2)大和政権下における暮らし
王や豪族たちは、立派な高床住居をつくって住んでいましたが、ふつうの人々(民衆)は竪穴住居などに住んでいました。
このことからも分かるように、ふつうの人々は王や豪族たちに支配されて生活していたということです。

また、農業の発達が進んだこともあり、春に豊作を祈る「祈年祭」や、秋に収穫を感謝する「新嘗祭」などのお祭りが行われるようになりました。

<補足>
大和政権における大王は「政権の頂点」という意味でしたが、この大王がのちに「天皇」と呼ばれるようになりました。
<まとめ>
・3世紀後半に大和(奈良県)を中心として、強力な大和政権をつくった
・大和政権の王を大王(おおきみ)といい、大和政権の政府を朝廷という
・大和政権は氏姓制度を用いて政治を行っていた

 

※ 理解を優先するために、あえて大雑把に書いてある場合があります

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