中学歴史:縄文時代のくらし

<ポイント>
縄文土器磨製石器が生活で使われていた
竪穴住居を建てて、住んでいたと考えられている
・貝殻や不要物などは貝塚に捨てられていた
(1)縄文時代とは
「約12000年前~紀元前4世紀頃」までの時代を縄文時代といいます。
また、この時代の文化を「縄文文化」と呼びます。

この時代につくられた土器には「縄目の文様」がついたものが多いため、この土器を縄文土器といいます。
縄文土器は「低温で焼いたため、黒ずんだ茶色をしていて、厚手でもろい」という特徴があります。
この土器の使い道は、木の実などを煮たり炊いたりして食べるためだと考えられています。

また、石器としては「するどく磨きあげられた磨製石器」が使われていました。
他にも、けものや魚の骨でつくられた「骨角器」や、木でつくられた船や弓などの「木器」も使われていたようです。

(2)縄文時代の暮らし
この時代の人々は、血のつながりのある者どうしが小さな集団をつくって共同生活をしていました。
採集した木の実や、漁や狩りでつかまえた動物などを分け合って暮らしていたようです。
食料をとるときに、弓矢や石器などの道具が使われていました。

この共同生活を行っていた住居の形式を竪穴住居といいます。
竪穴住居は水辺に近く、台地になっているような場所に建てられていました。
これは、狩りや漁に都合が良かったからだと考えれています。
また、竪穴住居は、地面を50cmほど掘って床や壁、柱を立ててつくられていました。
その大きさは「5~6畳ほどの広さ」で、4~5人くらいが生活していたと考えられています。

(3)貝塚
縄文時代当時の人々が食べた貝類の殻や、動物・魚の骨などの不要なものを捨てて積もったものを貝塚といいます。
貝塚を調べることで、当時の人の食べ物や使った道具、また海岸線のようすがわかるようになります。
(「海の近く」で貝を食べ、捨てたはずなので、貝塚の場所付近が海岸線だったと考えられる)

貝塚で有名なものは「大森貝塚(東京都)」「加曽利貝塚(千葉県)」などがあります。

<補足>
三内丸山遺跡(青森県)は、約5500年前から1500年ほど続いていたと考えられている縄文時代の大集落の跡です。
500人くらいの人々が、この地に定住していたと考えられています。
(ふつう、この時代の人々は食料を求めて移動しながら生活していることが多い)
<まとめ>
縄文土器磨製石器が生活で使われていた
竪穴住居を建てて、住んでいたと考えられている
・貝殻や不要物などは貝塚に捨てられていた

 

※ 理解を優先するために、あえて大雑把に書いてある場合があります

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